活動レポート
シンポジウム 東日本大震災から4年「私たちは忘れない、今福島でおこっていること」
2015.2.28
シンポジウム・東日本大震災から4年
「3.11東日本大震災~私たちは忘れない、今福島でおこっていること」を、2015年2月28日(土)に開催。3回目となる今年のシンポジウムでは、「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表の山田真さんを迎え、「福島の今」を伝える基調講演が行われました。
講演後、2014年度福島支援カンパ贈呈式と、贈呈先の6団体からの活動報告、そして昼食交流後には2014年度に設立した震災復興支援基金(パル未来花基金)の助成グループ(11グループ)から活動の中間報告がありました。
■基調講演「今、福島でおこっていこと」
講師:山田真(やまだまこと)氏
小児科医・八王子中央診療所理事長、「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表。福島をはじめ、各地で健康相談を受けている。著書に『水俣から福島へ』(岩波書店)など。
◆私が福島に通い続ける理由
私が初めて健康相談会で福島市を訪れたのは2011年6月でした。健康相談を終えて福島の駅に立ったとき、乗降客がほとんどいないこの駅は「見捨てられている」と感じました。報道関係の若い社員や女性たちは、危険だからと福島をひきあげるなか、福島市民の間では風評被害を危惧して「放射能の影響はない」と言わなければならない雰囲気が、当時からありました。
あれから4年、福島を題材にした新聞記事やテレビ番組はいつの間にか潰され、報道されなくなっています。健康相談にくる方々の話からは、地元では放射能の話題に触れてはいけない、戒厳令が敷かれたように、ものが言えない状況になっているのがわかります。私は2カ月に1回のペースで福島を訪れていますが、今や市民運動らしい運動も少なくなっており、私が健康相談会を行う足場も失われつつあります。この福島の現状は、国・東電・世界的に原発を推進する組織が、原発事故が起きた場合を想定して作り上げたシナリオどおりに進んでいるという人もいます。
だからこそ今、福島を孤立させてはならないと思います。そのために私は、命あるかぎり福島に通い続け、「福島の語り部」になって講演を続けると宣言したのです。
◆チェルノブイリの教訓
チェルノブイリでは原発事故が起きた直後から3年間は混乱状態で、放射能による健康被害の調査は行われていませんでした。甲状腺ガンが出たのは、事故後4~5年経ってからであると真実のように語られていますが、データがないだけで、実際に出ていたかどうかはわかりません。
また、「広島では多かった白血病がチェルノブイリでは出なかった」という話もありますが、そんなはずはありません。チェルノブイリに血液の病気が少ないのは諸説あり、発病した人は、最初の3年の間に亡くなってしまったのではないかともいわれています。
子どもの甲状腺ガンは、本来なら非常に稀なケースなので、チェルノブイリにおいて放射能と甲状腺ガンの因果関係を認めざるを得ませんでしたが、それ以外の病気に関しては「放射能恐怖症」としているロシアの姿勢も見逃せません。同じく今、日本で「放射能は大丈夫だ」と言っている人たちは、全て「放射能恐怖症」で済ませようとしているのだと思います。
◆増え続ける甲状腺ガンと検査を拒む国
1990年代の半ばから、世界的に甲状腺ガンが急増し始めました。原因はチェルノブイリ原発事故や医療被ばくなどが考えられ、「甲状腺ガン」の研究には世界が注目しています。にもかかわらずいちばん研究が必要な福島で、甲状腺ガンの詳細調査や分析が全くなされていない…、あるいはされていても隠されているという実態があります。福島の原発事故後、ウクライナやベラルーシの医者や科学者が日本に来て、チェルノブイリの調査や研究を伝えました。甲状腺ガンの中でも放射線によるものとそうでないものの遺伝子レベルの分析を、日本のデータを使って裏付けたいと考えていたのですが、日本では渡せるデータが何もなかったのです。
また、放射能による健康被害の実態を知るには、福島だけでなく近県やホットスポットを含めた広範囲の検査が必要ですが、国はかたくなに検査を拒んでいます。国がこれほどまでに検査や研究を拒む理由は、検査をすれば何か異常が見つかるからだと疑わざるをえません。
◆忘れないということ
「三・一一 民は国家に 見捨てらる」これは、釜石在住の俳人 照井翠さんが詠んだ句ですが、福島は本当に切り捨てられつつあります。福島の人たちの多くは「放射能への不安は語らない」ことでしか防衛できないところまで追いつめられています。こんな福島の人たちに対して、私たちは何ができるかということを、考えていかなくてはいけないと思います。
よく言われる「忘れない」いうことは、忘れないための集会をやるだけではダメなのです。たいせつなのは福島を他人ごとにしないことです。日本中が汚染されて、私たちにも健康被害が及ばないとも限りません。私たち自身が被災者であると考え、国や東電に償わせる運動をしていかなくてはならないと思います。
福島支援カンパ贈呈団体からの報告
【3a!(安全・安心・アクション)in郡山】問題に正面から向き合うお母さんの団体
子どもたちを放射能から守りたいと、2011年6月に6人のお母さんたちが集まって活動を始め、現在130人の会員がいます。
100万人に1人といわれる甲状腺ガンの発症。福島県の子ども38万5千人の検査では118人もの症例が見つかっています。しかし県民健康調査検討委員会は、原発事故の影響ではないとの見解です。そのため私たちは自主被ばく検査の費用補助を行い、甲状腺エコー検査だけでなく、血液検査もしています。協力医療機関も独自に開拓しています。
放射線量の可視化にも取り組んでいます。従来はできなかった線的・面的な測定データから線量マップを作成。これが認められ、保健職員向けガイドブックに掲載されました。
その他、放射能測定室の運営や講演会の開催、保養説明会など、これからも問題に正面から向き合って、ぶれずに活動を続けます。
【いわき放射能市民測定室たらちね】β線の測定ができるβ線放射能測定ラボも開設
食材の放射能測定、路上の測定、ホールボディカウンターによる人体の測定、甲状腺の検診、土壌の測定などを行い、データはホームページで公開しています。これまで測定が難しく測定料金が高額なこともあり、市民団体による監視ができなかったβ線の測定(ストロンチウム90とトリチウム)も、たらちねでは測定が可能になりました。
受検者数は年々減ってきていますがそれは状況がよくなっているわけではありません。人間の緊張感は3年が限界。今、汚染地域で汚染された食べ物を食べる可能性があることをみんなが忘れてかけているのではないかと危惧しています。
【子どもたちの健康と未来を守るプロジェクト】本当に必要な情報を発信しています
福島でのお母さんたちのサロン活動、医師を囲んでの放射能防護の勉強会、街の線量測定などに力を入れています。測定は住民要請を受けたもので、線量の高い所は行政に報告し立ち入り禁止にしました。南相馬市における特定避難勧奨地点の解除で、あたかも安全になったかのような報道があふれていましたが、公的に測っているのは屋外であり、お宅にうかがって測ってみると、解除前の値に戻ってしまっているのが現状です。しかしそういった報道は一切ありません。
震災から4年が経ち、「心配」を口にすることが厳しくなっている今、放射能の安全性をアピールするパンフレットなどが作られ、それを教材にした教育活動が熱心に行われています。そうではなく、事実を知るために必要な情報、保養情報など、これからも子どもたちを守るための発信をしていきます。
【ふよう土2100】障がい者が安心して過ごせる社会を次世代へ
原子力災害により、福島では12万人がふるさとの家以外での生活を強いられています。中でも障がいのあるお子さんは慣れない環境の中で大きなストレスを抱え、見守る家族の負担は多大なものです。そんな人々が少しでもホッとできるように、障がいをもったお子さんを預かる2つの施設を運営しています。また主に発達障害、またはその心配があるご本人やご家族に向けた相談窓口を設け、さまざまな支援を行っています。
一人ひとりにひかりをあてて、長所を伸ばす取り組みを重ねながら、障がい者が安心して過ごせる社会を次世代に残したいと考えています。
【まつもと子ども留学基金】まつもとモデルを全国に発信したい
福島で避難も保養もできない家庭からの、「子どもだけでも県外へ出したい」という要望に応え、自然豊かな長野県松本市で安心して暮らせる留学プロジェクトを立ち上げました。「避難」ではなく「留学」という言葉を使ったのには、福島の人への配慮と、せっかくなら松本で、前向きにのびのびと暮らしてほしいという思いが込められています。
昨年4月より8名の子どもが寮生活を始めました。初めは暗い表情をしていた子どもが日々成長して、今では寮の運営を支える活動を自らしたいとまで語ってくれるようになりました。
寮だけではなく、ホームステイ型、過疎化対策の中での留学受け入れなど、新しい形も生まれつつあります。これらを『まつもと』モデルとして、全国に発信することにより、ひとりでも多くの子どもたちを守れればと思っています。
【未来の福島こども基金】国の支援が及ばない中で
2011年6月、チェルノブイリ子ども基金の姉妹団体として発足しました。当初は内部被ばくを少しでも減らせるよう放射能測定器を福島県内の市民測定所に贈呈しました。その後、さらなる内部被ばくを予防するために保養支援プロジェクトをDAYS被災児童支援基金や、いわき放射能市民測定室 たらちねなどと協力し、NPO法人沖縄・球美の里の設立に関わりました。2012年7月に開所して以来、38回の保養を行い、子ども1266人、保護者336人、合計1602人の母子が参加しました。
国の支援がなかなか及ばない中、皆さまからの助成は子どもたちの保養を支えています。
◆震災復興支援(パル未来花)基金助成グループ
パルシステム東京が2014年9月に新設した震災復興支援基金「パル未来花基金」の助成グループからの中間報告もあり、会場内では多様な支援活動への共感の輪が広がりました。