活動レポート
第36回沖縄戦跡・基地めぐり
2019.4.1
パルシステム東京では、毎年、沖縄の戦跡や基地をめぐる平和スタディツアー「沖縄戦跡・基地めぐり」(日本生活協同組合連合会、沖縄生活協同組合連合会共催)に参加しています。今年は3月27日~3月29日の3日間、9名(組合員大人6名、事務局職員3名)が参加しました。
1日目 沖縄戦の体験を聞く~対馬丸~
講師:平良 啓子氏
国民学校4年生(9歳)で疎開のため対馬丸に乗船し、米国潜水艦の魚雷により沈没。6日間も漂流し無人島に流れ着いた当時の実体験を話されました。1484名が犠牲になり、その多くは学童疎開者である子どもたち。耳を塞ぎたくなるくらい辛く悲しい壮絶な出来事であり、奇跡的に生き残ったことに対し、嬉しさなどは何もなく、ただただ申し訳なさを感じていると平良さんは言う。
夕食懇親会では、沖縄伝統の唄や踊りを楽しみながら参加者同士で交流しました。年代別にテーブルを設置するなどの工夫が施され、とても有意義な時間を過ごせました。会の締めくくりには子どもたちから平和の宣言がありました。
2日目~3日目 沖縄戦跡・基地めぐり
沖縄戦跡・基地めぐりは平和ガイドのお二人に案内していただきました。お二人とも、現役時代は学校の先生でした。とても分かりやすくご説明してくださいました。
嘉数高台から普天間基地を見学しました。1945年4月1日、米軍が沖縄本島で最初に上陸した北谷、読谷海岸が見渡せました。普天間基地から飛び立つオスプレイの音がすごく、ガイドさんの声が聞こえにくいほどでした。
辺野古のキャンプ・シュワブを付近から見学しました。民意に反して、沖合では埋め立て工事が着々と進められています。バスで移動中、搬入ゲート付近には、簡易テントがズラリと並んでおり、警官隊も監視していました。
ひめゆり平和資料館、ひめゆりの少女について学び向かいました。ひめゆりの塔、平和資料館では、ひめゆりの少女の生き残りの方のDVDの視聴や当時の展示品等、館内を見学しました。
首里城に入る前に学習。ここは沖縄戦で日本軍が首里城の下に地下壕を堀り、第32軍司令部をおいていたこともあり、1945年5月25日から3日間総攻撃を受け、27日消失した。戦後、首里城跡に琉球大学が置かれていましたが、1979年に移転すると、本格的な再建がはじまり現在も続いている。2000年には世界遺産に登録された。『沖縄の歴史を多少は知っていましたが、今回の旅で、知らなかったことが多いことがわかった。まわりにこの事を伝えたい』等、参加者の声もきけました。
沖縄本土の南端にある糸満市の平和祈念公園内に慰霊碑があり、24万1525人の戦没者が刻銘されている。毎年「慰霊の日」6月23日に平成天皇皇后両陛下が訪れ平和の礎前で供花した場所です。公園内を散策後、資料館内を見学しました。
糸数壕(アブチラガマ)内を見学。壕の全長は270mに及ぶ。戦争当時、約200名の住民がガマに避難。壕内には台所・トイレ・物置などが分かれており、死体安置所や病院(治療する場所)もあったいいます。
その他にも『嘉手納飛行場』、『魂魄の塔』、『南風原文化センター』などを訪れました。