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「生きる」 大川小学校 津波裁判を闘った人たち

2023.3.3

「あの日、何があったのか」「事実と理由が知りたい」  親たちの強い思いが、10年にわたる唯一無二の記録となった

2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれ、全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が亡くなった。地震発生から津波到達までには約51分、ラジオや行政の防災無線で情報は学校側にも伝わりスクールバスも待機していた。にもかかわらず、学校で唯一多数の犠牲者を出した。

弁護団はたった2人の弁護士 親たちが“わが子の代理人”となり 裁判史上、画期的な判決にーー

わずか2人の弁護団で、原告となった親たちは「金がほしいのか」といわれのない誹謗中傷も浴びせられる中、事実上の代理人弁護士となって証拠集めに奔走する。彼らにとって裁判で最も辛かったのはわが子の命に値段をつけなければならないことだった。それを乗り越え5年にわたる裁判で「画期的」といわれた判決を導く。親たちが撮り続けた膨大な闘いの記録を寺田和弘監督が丁寧に構成・編集、独自の追加撮影もあわせて、後世に残すべき作品として作り上げた。

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