活動レポート

パルシステム東京「長崎平和スタディツアー2022」―― 継承そして核なき世界への挑戦

原爆投下の惨禍から77年を迎えた長崎。

被爆者の高齢化が進んでおり、被爆の実相を伝承していくことが大きな課題となっています。

パルシステム東京では、多くの組合員に被爆の実相を伝承するため、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に合わせて、2022年8月7日から9日に役職員を対象とした平和スタディツアーを行いました。

 

今回は役職員を代表し、3名がツアーに参加。

長崎市内を案内いただいたのは核兵器廃絶長崎連絡協議会が主催する人材育成プロジェクト「ナガサキ・ユース代表団」の10期生メンバー4名です。

 

企画の様子を動画でご覧いただけます(ダイジェスト版)。

被爆77年 長崎平和スタディツアー2022 ~継承そして核なき世界への挑戦~

長崎の原爆被害に触れる―救護所メモリアル

長崎市立図書館内にある救護所メモリアル

ツアー最初に訪れた場所は長崎市立図書館内の「救護所メモリアル」

ここはかつて「新興善小学校(国民学校)」でしたが、原爆でけがを負った多くの人々が治療を受けた救護所になったことから跡地を資料館としています。

ここで原爆被害の心痛む映像と資料に初めて触れた私たちは、ただ息をのんで見つめるばかりでした。

キリスト教信仰の街・長崎―大浦天主堂

めがね橋を渡り、大浦天主堂へ向かう

次に訪れたのは、1862年建設の国宝「大浦天主堂」です。

長崎は原爆被災地であるとともに、貿易とキリスト教信仰の歴史がある、異国情緒あふれる美しい街でもあります。

大浦天主堂も原爆で大きな被害を受け、1952年に再建されています。

少しずつ原爆の被害を学び始めた私たちは、天主堂近くの「グラバー邸」から、自然にあふれ、穏やかに広がる長崎市内の景色を複雑な思いで眺めました。

 

大浦天主堂

ナガサキ・ユース代表団メンバーとめぐる―長崎原爆資料館

ナガサキ・ユース代表団メンバー(左から姜さん、野尻さん、後藤さん、小松原さん)

長崎原爆資料館は、1945年8月9日11時2分に落とされた原爆被害の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過、および核兵器開発の歴史などの展示をしています。

 

ここで長崎県・長崎市・長崎大学の3者で構成された「核兵器廃絶長崎連絡協議会 (PCU-Nagasaki Council) 」が主催する人材育成プロジェクト「ナガサキ・ユース代表団」の大学生4名と合流し、館内のガイドをしていただきました。

 

ナガサキ・ユース代表団メンバーは、長崎に原爆が落とされるに至った経緯、被害の様子などを自分の言葉で冷静に、丁寧に私たちに伝えてくれました。

年表や爆弾の模型などの説明を受けながら館内を一緒に歩いていると、外国人被爆者の証言のコーナーで代表団メンバーの野尻さんが立ち止まりました。

 

野尻さん:「外国人被爆者の証言は数少なく、非常に貴重です。日本に連れてこられた中国人や朝鮮人の方は、日本語がわからないため、原爆被害にあっても痛みや症状を伝えることができなかった方が多くいらっしゃいると聞きます。」

 

外国人被爆者の証言のコーナー(一番右が野尻さん)

韓国コヤンパジュ・ドゥレ生協との結びつき―韓国人原爆犠牲者慰霊碑

韓国人原爆犠牲者慰霊碑に千羽鶴と平和のパネルを捧げる

次に訪れたのは、平和公園近くにある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」(2021年11月建立)です。

この慰霊碑は、朝鮮半島から動員され、原爆の被害にあった韓国人の方のために建てられました。

私たちは、長年パルシステム東京とつながりがある韓国の高陽坡州(コヤンパジュ)ドゥレ生協から贈られた千羽鶴と平和のパネルを供え、祈りを捧げました。

平和公園にも千羽鶴と平和のパネルを献納

平和公園(原爆落下中心地)

原爆落下中心地「原爆殉難者名奉安所」

次に私たちは9日に平和祈念式典が行われる平和公園を訪ねました。

平和公園内の原爆落下中心地の「原爆殉難者名奉安所(げんばくじゅんなんしゃめいほうあんじょ)」には、マイクロフィルム化した原爆死没者名簿が収められています。

ここには旧浦上天主堂の門の一部も保存されています。

旧浦上天主堂の門の一部(原爆遺構)

長崎に象徴的な原爆のシンボルがない理由―浦上天主堂

旧浦上天主堂・爆風で吹き飛ばされた鐘楼

爆心地から約500メートルのところにある浦上天主堂には、旧浦上天主堂の鐘楼が原爆の爆風で吹き飛ばされたままの形で保存されています。

 

野尻さん:「浦上天主堂が広島の原爆ドームのように原爆遺構として残されなかった経緯については諸説あります。

その一つに、アメリカと同じ多くのクリスチャンがいる長崎の街に原爆を落としてしまったことは、アメリカ側に都合の悪い事実であるため、原爆遺構として残さないことを条件に、浦上天主堂の再建費用援助を申し出たというものがあります。

そのため今残っているのは、この鐘楼と原爆落下中心地にあったものだけとなります。」

 

そのような経緯で浦上天主堂が原爆遺構とならなかったことについて、野尻さんは、

「(被爆の)シンボルがあるかないかというのは大きいと思います。広島のほうが原爆被害地としての印象が強いと思います。そこが広島との違いですね。もし残っていたら、世界中にキリスト教信者はたくさんいるので、原爆の恐ろしさ、悲惨さについて訴えかけられたのではと思います。

 

ですが、この地域のクリスチャンの方たちは、浦上天主堂が破壊されて祈りの場がなくなってしまったため、一日も早い再建を望んでいました。

一番優先されるべきは信者の方の再建の意思だったのだと考えます」と話しました。

「鐘楼の重さはおよそ50トン。原爆の爆風の強さを示しています。」と話す野尻さん(右奥)

山王神社・二の鳥居と被爆クスノキ

山王神社・二の鳥居

昼の12時、日差しが照り付ける中、次に私たちが訪ねたのは山王神社です。

爆心地から約800メートルのところにある、山王神社の二の鳥居は爆風で片方の柱を失い、片方だけの柱で立っています。

奥にある神社には市の天然記念物「被爆クスノキ」を見ることができます。

「被爆クスノキ」 一時は葉も落ち枯れ木同然と思われたが、短時間で生き返った。長崎にとって「平和の樹」である。

ナガサキ・ユース代表団10期生にインタビュー

長崎大学・核兵器廃絶研究センター(RECNA)で、原爆遺構を案内してくれた「ナガサキ・ユース代表団」メンバーにインタビューをしました。

 

大学内の日本各地の若者と知り合う中で、平和教育のあり方が西日本と東日本で違うと感じること、平和について東日本の若者より勉強している西日本の若者でも、沖縄戦については詳しく知らないことがあると話してくれました。

核抑止論について学生同士で話したことに触れ、

姜さん:「国と国の関係性に焦点を当てている人は核抑止論を支持していて、私たちは人の命に焦点を当てています。誰も核兵器を使った後どうなるか、どうするかを考えていない。」

 

後藤さん:「『今こそ日本も核兵器を持つべきだ』という人たちもいますが、『使う』という判断を広島・長崎の原爆を学んでいる日本人が果たしてできるのか。」

 

野尻さん:「原爆は、アメリカが日本に落としたことを考えるより、人が人に落としたことの問題を考えるべき。日本も原爆の開発をしていたという話も聞きます。もしかしたら日本が加害国になったかもしれない。人が人の上に落としたという歴史は、忘れてはいけないと思います。」

 

命が大切。そのため平和への思いを強くする3人の言葉が、私たちの心に深く残りました。

ナガサキ・ユース代表団10期生メンバー(右から姜さん、後藤さん、野尻さん)と

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 参列

平和祈念像 天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”とされている

翌日の8月9日、私たちは「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列するため、平和公園に向かいました。

被爆77年 の午前11時2分

平和の鐘が鳴り響く中、たくさんの参加者とともに私たちも1分間の黙とうを捧げ、原爆犠牲者への祈りとともに平和への誓いを新たにしました。

 

長崎平和スタディツアーを終えて

長崎市内を一望できる「稲佐山(いなさやま)公園」にて。左から松本理事、野波職員、橋本職員

長崎平和スタディツアーの最後に、参加した役職員3人がそれぞれの想いを語りました。

 

橋本職員:「長崎ははじめてで、原爆被害のことも深くは知りませんでした。今回ナガサキ・ユースの皆さんの説明を受けながら市内をめぐることができ、自分で見て、聞くことがとても大事なんだと思いました。

平和祈念式典でも、黙とうの間見てきた風景が頭に浮かびました。このようなことを二度と繰り返さないよう、この経験をしっかり皆さんに広報できるように活動していきたいと思います。」

 

野波職員:「今、山の上からこの穏やかな風景を眺めていると、平和なことがどれだけ幸せなことであるかを痛感します。

原爆の被害は、語りつくせないほどの惨劇、惨状であるということがわかりました。

核のこと、原発のこと、政治のこと、戦争のこと、今いろいろな問題がありますが、みんなが自分の言葉で考えること、行動することによって日本がよくなっていくということを、強く思いました。」

 

松本理事:「平和、原爆の話というと『重い話』『関係ない』と思われてしまうかもしれませんが、自分の興味のあるところから少しずつ発信をしていって、そこから平和につなげていく。ちょっとしたものでも『芽』は出ると思いますので、たくさん(平和の種を)植えていきたいと思います。」

 

3人が共通して強く思ったのは、「自分の家族に、周りの身近な人に、この経験を伝えていくこと」

押し付けではなく、みんなが当たり前に自分のことと思えるように、小さなことから活動を続けていきます。

 

今回のスタディツアーでご案内いただいた「ナガサキ・ユース代表団」メンバーの皆さまをはじめ、多くの方にご協力いただきましたことに感謝いたします。

 

パルシステム東京は、今後も核なき世界の実現に向けて、活動を続けていきます。