活動レポート

2018年度福島スタディツアー

2018.12.3

 パルシステム東京では、東日本大震災発生後、被災地に寄り添った復興支援活動の一環として、組合員とともに被災地を訪れる福島スタディツアーを実施しています。
今年度は12月1日(土)~12月2日(日)に開催し、組合員14名、役職員、関係者11名、計25名が参加。福島県相馬市飯舘村、いわき市、楢葉町を訪問しました。

1日目

 飯舘村交流センター「ふれ愛館」にて、阿武隈地域の食文化を大切に、手作りのお弁当を販売している渡邊とみ子さんから自主避難をされていた当時のお話を中心に伺いました。
「農業を忘れられず避難先で土地を借り、種を蒔きました。芽が出てきたときの喜びは言い表しようがないほど嬉しく、震災でしぼんだ気持ちが明るくなりました。」と語られました。

「『いいたて雪っ娘(ゆきっこ)』(飯舘生まれのカボチャ)を飯舘村の特産として全国に広めていくことが夢」と語る渡邊とみ子さん。

「『いいたて雪っ娘(ゆきっこ)』(飯舘生まれのカボチャ)を飯舘村の特産として全国に広めていくことが夢」と語る渡邊とみ子さん。

 飯舘電力社長・菅野宗夫さんは、1年半がかりで木材を乾燥させながら建てた自家発電の自宅前で、震災により地域コミュニティが一瞬にして消滅してしまった喪失感や、「福島のことを知りたい」と訪れる人は多いですが、「自分の住んでいるところ(の放射能の数値)も知ってその上で、飯舘のことを知ることができるのではないでしょうか?」と語られました。

写真左:「震災以前から築地本願寺にて毎月開催される安穏朝市で農産物を販売していました」と語る菅野さん/写真右:飯館電力1号機、小林さん宅

写真左:「震災以前から築地本願寺にて毎月開催される安穏朝市で農産物を販売していました」と語る菅野さん/写真右:飯館電力1号機、小林さん宅

※飯舘電力:東京電力福島第1原発事故後、住民有志が集い自ら未来を選択し、自立と再生を促し自信と尊厳を取り戻すために設立。新産業創出と若者の雇用を目的に、太陽光やバイオマス発電等の再生可能エネルギー事業や、世界に向けた情報発信事業、帰村拠点の運営事業等を行う。

2日目

豊間の防潮堤を車窓から見学しました。豊間地区は、塩屋崎灯台の南側に弓なりの海岸線が広がる風光明媚な海沿いの町です。震災前は釣りや海水浴、サーフィンをする人たちが県内外から多数訪れていました。

海岸の希少な生態系が壊されてしまうと懸念されている全長2,350mの豊間の防潮堤

海岸の希少な生態系が壊されてしまうと懸念されている全長2,350mの豊間の防潮堤

  楢葉町では、昨年度も訪問した楢葉「わらじ組」の皆さんと一緒にミニわらじ作りを体験! 両足の指を使いながら四苦八苦。わらじ組の皆さんの慣れた手つきに感心。

わらじ作りに挑戦!わらじ作りの後は、みんなでランチタイム

わらじ作りに挑戦!わらじ作りの後は、みんなでランチタイム

※楢葉「わらじ組」:震災当時、避難先の会津で地域の方と交流して生まれたわらじ「narahato」
パルシステム東京の震災復興支援基金パル未来花(ミライカ)基金助成団体「ならは盛り上げ隊」の活動をきっかけに組合員がわらじの素材となる古Tシャツを送るつながりが生まれる。

 わらじ組の方たちと記念写真を一枚。世界に一つだけのオンリーワンわらじを思い出として持ち帰りました。

それぞれわらじを手に「ハイ、ポーズ!」

それぞれわらじを手に「ハイ、ポーズ!」

 最後に福島の復興のシンボル「J-ヴィレッジ」を訪問。サッカートレーニング施設としては日本最大規模で全11面の天然芝ピッチを備え、幅広い層の合宿施設として利用されていました。センター内にはサッカー神社が祭ってあります。

※Jヴィレッジ:アジア初のサッカーナショナルトレーニングセンター。 東日本大震災直後から原子力発電所事故の対応拠点として使用され2018年夏に一部再開。 2019年4月に全面再開予定。

 2日間の訪問は全て終了。いわき駅にて解散し、一同帰路につきました。 パルシステム東京はこれからも被災地を「忘れない」取り組みを続けていきます。