活動レポート
2024ヒロシマ平和スタディツアー ピースアクションinヒロシマ~ヒロシマの心を世界へ~
2024.8.27
【2024ヒロシマ平和スタディツアー】平和ガイドが伝える原爆の記憶
原爆ドームの前での参加者一同
広島への原爆投下から79年。今年も原爆投下日に合わせて開催されるピースアクションinヒロシマに参加しました。(主催:日本生活協同組合連合会・広島県生活協同組合連合会)
参加者は、組合員8名(うち親子3組6名)、組合員理事1名、職員5名の計14名。
1日目は、現地平和ガイドさんと一緒に事前学習会で上映した「いしぶみ」に登場する広島県立広島第二中学校原爆慰霊碑を訪れその歴史の重さを肌で感じました。2日目は、「旧日本銀行広島支店」や「原爆ドーム」を訪れました。3日目は、「平和記念公園」にて開催される式典に参加いたしました。
【1日目】8月4日(日)「平和の子の像」にて組合員からの折り鶴を献納
東京駅から広島駅まで新幹線で移動。お昼過ぎに現地平和ガイドさんと合流しました。
広島県被団協 平和を語り継ぐ会所属平和ガイド「多賀俊介(たがしゅんすけ)」氏は、遺構を訪れる際、一つひとつの慰霊碑に向き合いお辞儀をします。その姿には、戦争に巻き込まれた人々に対して心から向き合う気持ちが表れており、気持ちが引き締まります。
「広島平和都市記念碑」は世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを祈願して建造されたものです。記念碑の先には、原爆ドームが一望できるよう設計してあるのです。
広島平和記念公園内にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は、植民地下の朝鮮半島から多くの人たちが移り住み、大戦中に徴用、徴兵されたりした犠牲者のためのものです。もともとは公園の外にありましたが、「民族差別の象徴」という声が出始め、碑を管理する在日本大韓民国民団(民団)広島県地方本部や市民、修学旅行生らの強い要望で公園内に移設が実現しました。
「原爆の子の像」では組合員が折った鶴を参加者代表が献納しました。「安らかにお眠りください」と一同で合掌します。
【2日目】8月5日(月)平和記念公園
2日目は「生協ひろしま碑めぐりガイドの会」森武司(もりたけし)氏にご案内いただき袋町小学校~旧日本銀行広島支店~原爆ドーム~本川小学校の原爆遺構を訪れました。
まず、最初に訪れた「袋町小学校」は疎開をせずに登校していた児童や教職員160名が被爆。当時の様子を伝えるビデを視聴しました。参加者のひとり小学生5年生のA君は、被爆した壁の修復展示を見学して「小学校の壁に伝言が残されていたことについて当時の人々が必死にほかの人を探そうとしていた気持ちが伝わってきました」と感想を述べます。
「旧日本銀行広島支店」では、頑丈に造られている地下金庫に鋭利な傷跡が残っています。あらためて爆風の威力を感じます。
日陰を求めながらの碑めぐり終了後には、「Social book cafeハチドリ舎」にてほっと一息、昼食をとりました。
【3日目】8月6日(火)平和祈念式典
スタディツアー最終日3日目、8月6日は原爆投下日にあたります。早朝、「平和記念式典」に参加するため、足早に「平和記念公園」に向かいます。厳重なセキュリティチェックを終えてようやく席に着くころには喉もカラカラの状態でした。8時15分の原爆投下時間には、合図とともに皆1分の黙とうを捧げました。式典終了後に「原爆ドーム」にて参加者是認で集合写真を撮り、それぞれの想いを心に刻みました。
◆参加者アンケートより
・小学校の4年間を長崎市で過ごし、爆心地に近い小学校に通っていたため原爆や戦争のむごさ・悲惨さについては身に染みていました。広島は初訪問だったので今回被害の様子がよく分かりましたし、改めてそのむごさを感じました。そして親になった今、お話を聴く中で我が子が助かっていてほしい、我が子に会いたい、どんな姿になっていても会いたいと必死で探した親の気持ちを思うと本当に辛いものがありました。(途中略)日本に落とされた原爆のことを知らないで生きていくことはできないなと強く思いました。
・母親の影響で戦争や原爆について話を聞くことはこれまでにも何度かあったけど、実際に被爆した方の話を聞くことは初めてで、当時の悲惨さを知ることができる、とても良い経験になりました。そして、実際に原爆で被害を受けたのは私と同い年の中学校・女学校の生徒さんもいらっしゃると聞き、とても心が痛かったです。今後二度と争いが起きないように、願うだけでなく自ら行動を起こせるようにしていきたいです。
・私は今まで、戦争や原爆に対してほとんど興味がありませんでした。こと原爆については、「ヒロシマ」や「ピカドン」といった禍々しいワード、漠然としたタブー感があり、自分からは触れられずにいました。しかし50歳を過ぎて、自分の時間が取れるようになった今、何故かふと、このツアーのお知らせが目に飛び込んで来ました。あ、これは、いいタイミングかもしれない。詳しい人が教えてくれるならと軽い気持ちで申し込みました。つまりもともとは、熱い思い入れや、主義主張のようなものは持っていなかったのです。ツアーに参加して、ガイドさんのお話を聞き、実際に平和公園の場所に立って初めて、戦争や原爆が自分ごととして覆いかぶさってきました。そこに生活していた人がいたこと。私や、私の家族だったかもしれない人たちのこと。ツアーが終わった時には、もっとこの事を知りたいと感じていました。このような機会を与えてくださって、ありがとうございました。
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