活動レポート
3.11を忘れない「あの日から14年、寄り添い続けられるつながりを」
2025.3.19

2025年3月8日、パルシステム東京は、東日本大震災後、「3.11を忘れない」を基本視点に、被災地、被災者の状況を正しく知り、東京で私たちができることを、ともに考える場として、2012年度から3.11シンポジウムを開催してきました。
今年度は、福島に関する講演を考え、3.11を忘れない「あの日から14年、寄り添い続けられるつながりを」を講師お二人をお迎えして、オンラインで開催しました(49人が参加)。
司会より、開催前に東日本大震災、そして能登半島地震で犠牲になられた方々に哀悼の意を表し、黙とうを捧げました。
最初に、パルシステムグループ、2024年度「東京電力福島第一原子力発電所事故被災者応援金」の助成団体のひとつ、認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)の代表理事の佐藤慧(さとうけい)氏の講演。次に、福島県富岡町夜の森出身の秋元菜々美(あきもとななみ)氏の講演、その後、お二人のトークセッションを行いました。
その後、参加者からのQ&A、パルシステム東京で12月開催した「福島スタディツアー」の動画視聴、最後に復興支援委員会の委員長の西村陽子常任理事から、本日の感想、今後のパルシステム東京の復興支援について参加者へメッセージを伝えました。
悲しみと共に生きる

佐藤慧(さとうけい)氏 プロフィール
1982年岩手県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の代表。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追う。言葉と写真を駆使し、国籍−人種−宗教を超えて、人と人との心の繋がりを探求する。アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。著書に『しあわせの牛乳』(ポプラ社)、同書で第二回児童文芸ノンフィクション文学賞、『10分後に自分の世界が広がる手紙』〔全3巻〕(東洋館出版社)、同書で第8回児童ペン賞ノンフィクション賞など受賞。
世界の平和から考える3.11への寄り添いと共感について

佐藤さんが高校生の時の2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロの写真から、講演がはじまりました。今、世界で起きている戦争、昨年訪れたシリア北部のラッカという町の状況、取材を通じての想い、「世界は何もしなかった」という言葉の重み、パレスチナガザやヨルダン川西岸地区についても、シリアでは銃を持たざるを得ない女性部隊もある。いまの日本でも人権がないがしろにされていて、世界と同じことが起きているように感じると。後半は、震災時のご自身の家族の話を辛い記憶の中お話くださいました。岩手に住んでらしたご両親、お父様はご無事でしたが、津波に襲われ行方不明になったお母様の捜索、遺体安置所、被災者という立場、お父様への寄り添いについて等。辛い経験を淡々と語られる姿に、参加者からは、「内容の重大さに涙が溢れました。今生きていることの意味の大きさをともに大切にして、自分のできることで前へ進みたいと思います。」等、多くの共感の声をいただきました。
自分と町の関係を結び直す

秋元菜々美氏プロフィール
1998年、福島県富岡町夜の森出身。東日本大震災及び原発事故で13歳で被災。
2022年度まで富岡町役場職員として勤務。
福島県浜通り地域を舞台に土地の時間を人々に喚起させるような作家の作品制作を支援する他、教育や観光に関わること、随筆も行う。
演劇・被災の伝承活動等フリーランスで活動をしている。

13歳の時に、中学校の卒業式の後、友達と遊んでいた時に東日本大震災がおき、中学校の体育館に避難した当時のことから、現在の富岡町の状況、ご自身のことも含めお話しいただきました。3.11が起きる前まで、頻繁に地震や津波注意報も出ていたことや、富岡町の産業の歴史、原子力発電所のことは現地にいなければわからない情報でした。また、帰宅困難区域にあった夜の森の自宅が、震災後築50年以上ということもあり、雨漏りやハクビシンが住み着いてしまい、思い出のある家を解体せざる負えなかったこと。秋元さんの富岡町への愛情が言葉のはしはしに感じられて、震災で強制的に離されてしまった縁をどう結び直していけるかという問いかけが心に響きました。震災後は被災地として見られ、避難していた人たちも若い方は避難先での生活が定着し戻ってこない方も多い、自分で生業をつくれる人か高齢者が最後の場所として考えているのが現状である。
自分が生まれ育ち、人格をつくり、家族、家、友達、それが震災で一度崩壊した今だからこそ、未来、どんな社会にしたいかを考える時期に来ていると思うと話す姿は、とても頼もしく、彼女に会いに夜の森に行ってみたいと思った方は多いのではないでしょうか。
秋元菜々美さんからのメッセージ(エコ&ピースナビゲーター46・3月号に掲載)
震災から14年が経過しました。
私の生まれ育った福島県富岡町夜の森は、原子力発電所事故の影響で避難を強いられた場所です。夜の森は12年経過した2023年4月1日に帰還できるようになりましたが、今も帰りたくても帰れない人がいて、許可がなければ立ち入れない場所があります。廃炉も始まったばかり。核燃料デブリは推定880トンあるとされており、昨年そのうち数グラムが取り出され、現在デブリの分析調査が行われ始めました。今このテキストを読んでいる皆さん含め、私たちはこれから永い時間、原子力発電所と付き合っていくことになります。どうか意識下に沈めないで。一緒に考え続けていきましょう。
(富岡町より 秋元菜々美)
佐藤氏&秋元氏のトークライブの様子
参加者アンケートから
【佐藤慧氏へのメッセージ】※アンケートより、一部抜粋。
・武器を持たざる得ない背景を知り、福島とガザも命の格差では同じ構造ではないか。人権の意味から考え直すことを多くの人がされるよう伝えたい。共感寄り添い対話など非武装でできることがある。津波で亡くされたご家族の話に突然人生が閉ざされる悲しみ痛み。辛い話を写真を交えて話していただきありがとうございました。
・貴重なお話ありがとうございました。震災を知らない小学生の子どもと一緒に視聴させていただきました。お写真等も見せていただき、子どもも震災を現実のものとして捉えられたようです。 テレビ等でも最近は震災のお話を聞ける機会がなく大変良い機会になりました。
・世界で起きている紛争から、日本でも同じことが起きている(人権がないがしろにされている)というお話が衝撃的でした。ご自身の辛い経験、悲しみに向き合うことなど、いろいろお話しいただきありがとうございました。他の学習会で聞いたお話とまた違った内容で考えさせられました。何ができるか人と話し、被災地のことを忘れず、自分ができることを続けていきたいと思います。どうぞお体にお気をつけてお過ごしください。
【秋元菜々美氏へのメッセージ】
・中1の多感な時期に被災されたとのこと、いろいろご苦労もされたと思いますが、町の復興のために活動されていることに、若いパワーを感じました。福島などの復興を考えることは日本を考えることにつながる。いろいろお話しいただきありがとうございました。埼玉の福島スタディーツアーで夜の森を訪れたことがあります。今年の桜祭りはより多くの方が訪れるといいですね。 これからもお体にお気をつけて活動を続けてください。
・生まれて何事もない時間より原発事故で家を失った時間の方が長くなったが、再度戻って結び直そうという姿勢に勇気を受けました。「被災者」ではない自分、「被災地」ではない町・歴史そして廃炉工程も含め今後も一緒に見ていきたいと。心強い。
・秋元様 思い出すのも辛い事なのに、当事者でしか分からない事を画像と共に色々とお話して下さり、ありがとうございました。 特に家畜や動物達の話や写真は殆ど見た事がなかったので。 こらからも応援を続けます