活動レポート
2017年度ナガサキ平和スタディツアー
2017.8.9
「戦争も核兵器もない平和な未来を ~継承・ナガサキの想いをあなたから誰に伝えますか~」
2017年8月7日(月)~9日(水)、戦争の恐ろしさを学び伝え、核なき世界の実現に向けて行動する活動の一環として「2017ピースアクションinナガサキ」(主催:日本生協連・長崎県生協連)に参加し、組合員6名(うち子ども1名)、役職員3名が参加しました。被爆遺構や資料館見学、被爆された方の証言、平和祈念式典参列などを通し、戦争の悲惨さ、核兵器の非人道性を知り、平和の尊さについて考えました。
1日目:原爆資料館
平和案内人の方の説明で資料館内を1時間ほど見学しました。被爆当時の様子も含め、ここに来なければわからないこともあり、みんな熱心に説明に聞き入っていました。
館内では、被爆当時の長崎全景や、長崎に落とされた原子爆弾「ファットマン」、被爆した衣服等の展示を見学しました。直視できないものもあり考えさせられる内容でした。
原爆落下中心地碑~千羽鶴献納
資料館見学後、原爆落下中心地碑に向かい、1945年8月9日、この上空約500mで原子爆弾が爆発。当時長崎市内は約24万人の人が暮らしていましたが、死者は約7万4,000人、負傷者約7万5,000人に上りました。
組合員が折った千羽鶴を献納し、黙祷を捧げました。
被爆の証言と紙芝居
被爆者の方からご自身の体験を直接うかがいました。
・紙芝居「じいちゃん、その足どげんしたと」
読み手の三田村静子さん。三田村さんは3歳8か月で被爆、そのあと後遺症に苦しんできました。現在は被爆者の体験を紙芝居で伝える活動をされています。
・被爆の証言、池田道明さん
爆心地から700mの長崎医科大学付属病院で6歳の時に被爆。屋上で遊んでいましたが、友達がトイレに行きたいと1階におりた時に、『ピカッ』と大きな花火のような閃光が走り気絶し助かりました。被爆当時の様子をお話しいただきました。
平和のまち歩き
長崎では青少年ガイド、大学生・高校生などによる「青少年ピースボランティア」が被爆地において平和への想いを発信しています。暑さが残る中、公園内を丁寧に説明してくれました。
最後に、原爆資料館の説明をしてくれた平和案内人の方から、隣にある「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」見学で1日目を終了しました。
▼石碑に刻まれた ある少女の手記より
のどが渇いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていましたどうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
2日目:子ども平和会議・平和カフェ&平和のまち歩き
2日目は、2つのコースに分かれて参加。
「子ども平和会議」は、今年から長崎でも行われました。
子ども同士で、『あらそいごとをなくすために出来ることはなんだろう?』をテーマに、各グループにわかれて活発な意見交換をしました。
平和について大人同士が話し合う「平和カフェ」も、同じく初めて長崎で開催しました。
自己紹介のあと、2グループに分かれ、「あなたが伝えたい平和のメッセージ」をお題に話し合いました。全国各地から参加者があり、「平和の大切さを中間と考え子どもたちへ伝えていきたい」「あたり前の日常を大切に、原爆のことを忘れない」など意見交換をしました。
また、平和のまち歩きのコースの方は、山王神社周辺を平和ガイドの案内で歩きました。
ピースアクションinナガサキ 虹のひろば
虹のひろばは、長崎市民会館で行われた生協の組合員と役職員が参加する生協ならではの企画です。
●オープニング 私立長崎玉成高校 ハンドベル部 |
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●主催者あいさつ 日本生協連代表理事会長 本田英一氏 |
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●来賓のあいさつ 長崎市副市長 三藤義文氏 |
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●平和の取組み報告 私立ナガサキ活水高校 平和学習部 |
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●ヒバクシャ国際署名について |
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●2017子ども平和会議inナガサキ 取り組み紹介およびアピール文読み上げ |
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●フィナーレ 合唱:被爆者歌う会「ひまわり」 曲目「もう二度と」、「We Never Forget」 |
長崎市副市長 三藤義文氏
日本生協連代表理事会長 本田英一氏
子ども平和会議に参加した子どもたちがアピール文を読み上げました
3日目:長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
戦後72年となる平成29年8月9日、朝からあいにくの雨模様でしたが平和公園の平和祈念像前で被爆者の会「ひまわり」が歌い始まる前に雨があがりました。
高校生の司会で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われました。
参加組合員は全国各地から、政界各国からの参列者と長崎の地で平和への祈りを共有しました。
【田上長崎市長の平和宣言】
「”ノーモアヒバクシャ”未来に向けて世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の願いを表したもの。その願いから『核兵器禁止条約』が生まれました。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を被爆地は到底理解できない。」と、わかりやすい言葉でしっかりと政府に訴え、核兵器廃絶と講究平和の実現に力を尽くすことを宣言しました。
今年は長崎市長の平和宣言及び安倍総理の挨拶を聞くことができました。
核兵器も戦争もない世界を目指して、平和でありますようにと願います。