活動レポート

2016年度福島スタディツアー【2日目】

2016.10.9

パルシステム東京は2016年10月8日(土)~9日(日)、「福島スタディツアー」を開催し、25人(組合員17人、役職員8人)が参加しました。

◆企画の目的

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故によって多大な影響を受けた福島県。震災から5年半が経過した今も、県内外で約9万7千人を超える方が避難生活を余儀なくされ、復興への道筋が立っているとは言いがたい状況です。

このような状況の中、パルシステム東京では、「3.11を忘れない」という想いとともに、2013年からパルシステム福島の協力を得て「福島スタディツアー」を実施し、福島の「いま」を見て、聞いて、感じて、私達にできることを考える場としています。

2日目 ◆二本松有機農業研究会~営農発電で地域再生!~ 

<有機農業の力>

2日目はパルシステムの産直産地「二本松有機農業研究会」を訪問。「45年前に父が有機農業をはじめたのが出発点です」と話す大内督(おさむ)さん。JAS法ができる以前から有機農業に取り組み、JAS法が出来たとき「二本松有機農業研究会」は販売団体名でもあったことから名称を使い続けるためにJAS認証を取得したという先駆的な生産者集団です。

 

二本松有機農研では、顔の見える関係を大切に地域の方たちに野菜セットを直送。パルシステムの組合員にも、春はさやえんどうやスナックエンドウ、夏はきゅうり、いんげん、冬は大根などを出荷しています。

そんな有機の畑を福島第一原発事故が襲い、45年かけて作り上げてきた「土」は2~3,000ベクレルに汚染され、生産物はすべて廃棄する事態に。

土は5㎝削ると栄養がなくなるため、放射能対策として「深耕」を選択。その結果、2011年秋の生産物は不検出に。「粘土質の土に有機の腐食を使っていたのがよかった」と振り返ります。震災後、40%にまで減ってしまった直送販売も、きちんと放射能を測定しお届けすることで、現在は買い支えてくれた人たちの口コミもあり、震災前の半分くらいまでは回復してきたとのこと。「震災後も変わらず応援し続けてくれたみなさんのおかげです」と感謝の声がありました。

太陽熱による殺菌・殺虫や、混植による病気対策など、農薬に頼らない栽培の工夫を説明する大内督さん

太陽熱による殺菌・殺虫や、混植による病気対策など、農薬に頼らない栽培の工夫を説明する大内督さん

太陽熱による殺菌・殺虫や、混植による病気対策など、農薬に頼らない栽培の工夫を説明する大内督さん

少量多品目。実に年間約60種類の有機農産物を生産。畑には旬の野菜が青々と育っていました

<営農型発電>

「原発事故を受けて、エネルギーを人任せにしてきたことを反省した」と話すのは元二本松有機農業研究会の生産者で、飯館電力の近藤恵さん。原発事故被害の悔しさから自分たちでエネルギーを作ることに挑戦を始めました。

ソーラーシェアリングは、農地に支柱を立て、ソーラーパネルを並べ、適度な光を取り入れながら栽培と発電を両立する取り組みです。支柱を立てる部分の農地転用の届け出など、一足飛びにはいかないところもありますが、少しずつ事例もでてきているとのこと。

二本松有機農業研究会最初の発電所は15世帯(約50Kwh)分を予定。ソーラーパネルや支柱設置するには初期投資も必要になります。そのためパネルの出資者を集い、支柱は農閑期に自分たちの手で設置することを選択。出資者には、銀行で借りた場合の利息分に相当する生産物を贈ることや、パネル設置作業ボランティアなどでのつながりも考えているとのこと。

「原発事故は悔しいが落ち込んでいるだけではだめ。再生可能エネルギーを求める時代の要請にも応え、皆さんと一緒に成し遂げたい」と結びました。

顔の見える野菜、顔の見える電気へ!」と思いを込めて説明する近藤さん

顔の見える野菜、顔の見える電気へ!」と思いを込めて説明する近藤さん

顔の見える野菜、顔の見える電気へ!」と思いを込めて説明する近藤さん

営農型発電(ソーラーシェアリング)のイメージ。二本松農研でも、このようなパネルの設置に向けて動き始めています

◆道の駅東和の取り組み~昼食を食べながら~

二本松有機農研を訪れた後、移動中のバスの中で和田顧問から、福島県を取り巻くエネルギー事情についてお話がありました。

現在の福島は、県外から資本が流入し、いつの間にか山が削られ太陽光パネルが出来たりしているが、地元にはなんの貢献もなく、それどころか誰が建てたのかわからないものまであるとのこと。このような状況に対し、住民が自らエネルギーをつくるための「福島自然エネルギー基金」が創立され、パルシステム福島も出資したことなどが報告されました。

昼食は、中通りと浜通りの間、阿武隈山系の山すそに位置する「道の駅・東和」で。道の駅を運営するNPO法人ゆうきの里東和の大槻さんから、東和の特徴や放射能対策のお話を伺いながら、昼食をいただきました。

もともとは養蚕の盛んな地域でしたが、高齢化も手伝い養蚕家は激減。荒れていく農村の再生のため、特産品の桑を「お茶」にするなど、6次産業化を進めたのがはじまりと言います。

しかし、そんな取り組みも福島原発事故で一時大きく停滞、「生葉から200ベクレル/㎏前後の放射能の検出が3年続きました」と大槻さんは話します。様々な大学から放射能の研究で先生が訪れ、いろいろな場所を測定。自身も寄付で寄せられた測定器で6月から記録を取り始めたといいます。

その後、震災から3年経ってようやく不検出に。売り上げも震災前と同じまでに回復したそうです。

「来春からは、廃校を利用した加工工場に製茶の機械を導入し、新しい商品も販売していきます」と、ここでも原発事故に負けず、地域の再生を目指す取り組みを伺うことができました。

道の駅には放射能検査機器も整備。販売しているものは自前の検査機で検査していることを説明する大槻さん

道の駅には放射能検査機器も整備。販売しているものは自前の検査機で検査していることを説明する大槻さん

道の駅には放射能検査機器も整備。販売しているものは自前の検査機で検査していることを説明する大槻さん

地元のものをたっぷり使った昼食。なつかしい味がしました

◆NPO法人ふよう土2100

最後に訪れたのは、パルシステム東京福島支援カンパ贈呈先団体の一つ「NPO法人ふよう土2100」。事務局長の大澤康泰さんから震災当時の郡山の様子を通して、ふよう土の活動についてお話を伺いました。

ふよう土2100は、子育てと障がい者支援を中心に、子どもたちの「居場所づくり」に取り組む団体。震災の記憶を風化させないための語り部活動もしており、2013、2015年度の福島スタディツアーで浜通りを訪れた際には、代表の里見喜生さんにガイドをしていただきました。

NPO設立以前から「地域を見直し、子どもに伝える活動をしていた」と話す大澤さん

 

原発事故は一瞬で地域のコミュニティを破壊したと語ります。そんな中、事故を教訓に自分たちが当事者となり、自閉症、発達障害の子どもを連れて避難してきた親子が安心して過ごせる場…誰もが安心して暮らせる地域づくりと、二度とこんなことが起きないよう語り継ぐためNPOを結成したとのこと。子どもは減ってきているが、支援学校の生徒は増えているとの話には参加者からも驚きの声も。子どもたちへの支援は、レスパイトケア(在宅でケアしている家族への支援)の観点からも必要とされています。

震災直後は様々なところの支援があったが、5年が経過しそれも半減。支援団体も経済的に厳しい状況にあると言います。「パルシステム東京の組合員から変わらず支援をいただけているのは私たちの強みです。これからも子どもたちが自信を持って暮らしていけるよう取り組んでいきます」と結びました。

子ども達が宿題などの学習をする部屋も見学

子ども達が宿題などの学習をする部屋も見学

子ども達が宿題などの学習をする部屋も見学

澤さんの案内で全村避難となった川内村の仮設住宅など市内をまわりました。川内村は2012年に帰村宣言をしましたが、いまだに郡山市内の仮設住宅で生活する人も少なくありません

「放課後等ディサービスがっこ」にて

「放課後等ディサービスがっこ」にて

◆スタディツアーを終えて~聞いたこと・感じたことを伝えよう~

訪問した先々で、未曾有の原発事故と向き合い、故郷の再生に向け歩き始めた福島の人々の力強さを目の当たりにしたスタディツアー。

参加組合員からは、「自分でできることを精一杯やろうという意気込みに、心から驚きと尊敬を感じました」「つながり続けるということは、思いを寄せ交流を続けること。この二日間のことをひとりでも多くの仲間に伝え、思いを寄せる仲間を増やしていきたいです」など、福島への思いを話しました。

今、東京でくらす私たちにできることは何か…、一人ひとりが震災と改めて向き合い、これからを考える旅になりました。