活動レポート
空爆や軍事封鎖に苦しむガザ地区について パレスチナ子どものキャンペーンの中村哲也さんに聞きました | オンライン学習会「出口の見えない難民問題の今」詳細レポート(2)
2021.9.2
パルシステム東京は2021年7月23日(金・祝)、「出口の見えない難民問題の今」と題して、難民支援に取り組むNGO3団体を講師に、学生らとのトークセッションも交えたオンライン学習会を開催しました(参加者167名)。当日の講演や質疑応答の様子の一部を4回に分けて詳細をレポートします。
講師:中村 哲也 氏
パレスチナ子どものキャンペーン 海外事業チーフ。
2006年よりパレスチナ子どものキャンペーンの広報・現地事業担当としてパレスチナやレバノンの難民キャンプを頻繁に訪問。東日本大震災では避難所での炊き出しや物資配布などに7か月間従事。その後、エルサレム事務所代表を2年半務め、ガザでの農業事業などを実施する。現在は東京事務所で主にガザや西岸地区での事業運営を担当。
パレスチナ・ガザ地区って?|パレスチナ子どものキャンペーン
アフリカとアジアのちょうど境、アジアの西端にあるパレスチナ・ガザ地区。1948年イスラエルの建国とともに故郷や家を追い出されたパレスチナ難民とその子孫が人口の約7割を占めます。
「パレスチナ子どものキャンペーン」はレバノンでのパレスチナ難民キャンプへの支援活動を開始し、当初「キャンペーン」として一定期間の活動として始まったものの、現地の減らないニーズに応える形で支援を継続し、現在に至っています。
パレスチナでは軍事侵攻後の緊急支援、教育支援、ろう学校支援、障がい者の自立支援、乳がん啓発支援とともに、パルシステム東京平和カンパで応援している「児童館支援」などの活動を行っています。
東京23区の3分の2程度の面積のガザ地区ですが、人口増加率3%と急速に人口が増えており、約200万人のうち6割が15歳以下、また人口の7割にあたる140万人が難民です。
2006年からは封鎖状態となっており、人、モノ、燃料等の出入がイスラエル軍によって厳しく制限されています。また、2008~09、2012、2014、2021年と大規模な軍事衝突が数年おきに起こっており、先行きが見えない不安から心理的なダメージを訴える人も多いと中村さんは指摘します。「戦争やコロナのようなパンデミックがあっても、ガザの人々にはそこから逃げて国外へ避難するという選択肢はないのです」
子どもたちが溢れかえるガザ地区では、学校も先生も不足し、授業時間も半分に制限をせざるを得ない状況です。子どもたちの課外活動や居場所のニーズに対し、パレスチナ子どものキャンペーンが2005年から運営を継続しているのが「ナワール児童館」です。難民キャンプの外側で、国連の支援が受けられないまま貧困に苦しむ子どもたちと家庭への支援拠点となっています。
児童館は子どもたちが羽を伸ばして心を解放できる数少ない大切な場所です。また、地域を担う次世代リーダーの育成や、あるいは親たちにとっての居場所としても重要な機能を果たしていると中村さんは言います。
「この前の攻撃の時、私の家の隣の家に『爆撃する』という連絡がありました。私たちも急いで家から逃げました。本当に怖かったです。でも、結局爆撃はなくて、次の朝家に戻りました。11日間、眠ることができず、食欲もありませんでした」―サルマさん(11歳)
2021年のイスラエル軍による空爆は、ガザ地区の都市部の市街地でも起こっており、多くの一般人が犠牲になりました。死者数は子ども66人を含む256人、負傷者は2,200人にのぼります。難民となって故郷へ戻れない中で、さらに家を壊される状況で、空爆によって50,000棟近くの被害があり、医療施設にも被害があったほか、8,200人以上が仮住まいを続けているといいます。
「これまで重ねて空爆の経験をしてきた人々が、それを思い出させられ、フラッシュバックを起こすような状況。親やスタッフらも『子どもたちを守れるのだろうか』という不安を抱えており、心理的ダメージはこれまで以上に大きい」(中村さん)
こうした状況を受け、パレスチナ子どものキャンペーンでは、クラウドファンディング等を通じて資金を集め、パレスチナ・ガザ地区で障がいのある子ども、乳幼児、妊婦、疾患を抱える人のいる家庭350世帯へ、食料・生活用品の緊急支援を行うこととし、パルシステム東京からも組織カンパで応援することになりました。